渡る世間は……


 月面基地から颯爽とヤマトに参加したコスモタイガー隊だったが、彼らには彼らなりの悩みがあった。それは軍制のことである。

 ここでは、誰も階級を使わない。せいぜい役職名がいいところで、総体的にかなりフランクな印象があった。とりあえず、チーフの名と顔は頭に叩き込んだ。それ以外の人は?


 前の航海から一緒であれば馴れ合いもしようが、彼らは全くのニュー・フェイスなのだから、空気も読めないし、妥協点も分からない。失礼があってはならないと思うと、話もろくにできなくなる。

 隊長に聞くのもなんとなく憚られるので、実質的補佐の山本に聞いてみようということになった。あけの海航空団から阿弥陀籤で選ばれた(旧山本隊は猛烈にブーイングしたが、旧加藤隊の者たちは聞く耳を持たなかった)いけにえ、もとい猫に鈴を付ける代表は、植田という、ふだんは地味だが飲み会になるとネクタイを頭に横縛りにしてオヤジの真似をするという変わった芸風の者だった。

 植田がかなり切羽詰まった表情で、格納庫の端で捕まえた山本は、あっさりと、


「さん付けでいいよ」と答えた。

 山本が、外で肩書で呼ばれると返事もしてくれないということを、今更ながら思い出したが、後の祭り。つまり、相談する相手を間違ったのだ。親切そうな鶴見を、面識がないという理由で外した民主主義の選択肢を、植田は軽く恨んだ。


「ここでは、仕事さえ出来ていれば誰もそんなことは気にしない」

 山本はクールに言ってのけた。


 ただし怖いのは、この男がどこまで本当のことを言っているのか分からないところで、今までに何度も引っ掛けられていた。下手をすれば命に関わるから堪らない。


「だから気にするな」

 山本は立ち去ろうとする。しかし植田は、その山本についても確認しておかなければならない。これをしなければ、仲間たちに責められる。


「隊長、申し訳ありません。もう1点あるのですが」

 終いまで言い切らないうちに、山本がくるりと振り返ったので、後ろに付いていた植田は、まともにぶつかりそうになった。


「隊長は加藤だから。加藤以外の者を隊長と呼ぶな」

 怖い顔をした。

「ですから、どうしましょう」

「だから、さん付けでいいってば」

 山本は早足で歩きはじめた。

「では……例えば副長、なんでしょうか」

「特に決まっていない」

 山本は意外に歩くのが早い。追い越さないように追い付くのに苦労する。


「困ります!」

 実質的に、山本が加藤隊長の補佐を行っているのは誰もが知っている。気分の問題としても「さん」付けで賛同が得られるとは思われない。

「何が」

「やはり、せめて副隊長だと思うんです!」

「じゃあ、古代に聞いて!」

 それほどあけの海での隊長が嫌だったんかいこの面倒くさがり屋さんめ、と思い、植田も意地になって付いていく。

 食堂が近付き、通路に人が多くなってきたので、少し焦りはじめてもいた。植田は言い募った。

「ポジションとしてはチイママじゃないですか!」

 再び山本が勢いよく振り返ったので、今度は完璧にぶつかった。

「言うに事欠いて、なんてことを言いやがるんだ君は!」

 さらに怖い顔をした。

「申し訳ありません!」

 しかしこれが本当の後の祭り、周りにいた乗組員たちがゲラゲラ笑い出した。

 植田が怯んだ隙に、山本はさらに強烈は眼差しをくれると、ぷいと人混みの中に消えた。

                     *   *   *

 最初に山本に、それも至極無神経に触れてきたのは、こともあろうに古代艦長代理だった。

 ニヤニヤしながら近付いてくると、

「おまえチイママだったのかあ」と言った。30分も経たないのに、もう知っていやがるうえに、ふつう人が気を使って触れないでおこうとするであろうこんなネタに嬉しそうにしている古代が小面憎くなる。

「もういっぺん言ったら殴る」

 しかし古代はなおもニヤニヤしながら言った。

「今度、基地祭でバーでもやれよ。受けるぜ〜」

「水割り1杯で1万円取ってもいいか?」

「やる?」

 古代は俄かに目を輝かせた。

「やらない!!」

 強引に話を終わらせて振り切った山本だが、この分ではしばらく平穏に暮らせそうにないと思い、がっくりした。

 次に来たのは森雪。


「聞いたわよ〜」と、これまた嬉しそうにニヤニヤしている。森はもう少しまともかと思っていたが、どんどんバカップルになっていくなあと考えながらも、天敵なので、警戒は怠らない。

「ああ、森雪に『エロオヤジを目指せ』と言われた時くらいムカついた」

 先制攻撃のつもりだったが、ノーダメージだったらしく、

「なに言ってるの。酔っ払っている時の行動の時効は24時間よ」と、けろりとのたまい、さらに、

「わたしを差し置いてチイママなんてちょっと悔しいけど、山本くんなら許してあげる。お化粧の上手な友達を紹介してあげるから、サービスしてね。じゃ、わたし仕事があるから」

と、手を振って行ってしまった。

「絶対、呼ばねえ!」

 まさしく負け犬の遠吠えだったが、もちろん、森雪は聞いちゃいない。

「面白いことになっちゃったねえ」

 物影からニヤニヤしながら、太田と南部が現れた。

「サイアク!」つぶやく山本。

「根性が据わった部下がいてうらやましいねえ」

 腹黒さ満点の笑顔で太田が言う。

「自爆型だけどね」

 山本はかなりヤケクソだ。

「どんな奴?って聞いたら、なんでも、オヤヂ芸が絶品だって? 頭にネクタイを縛ったり、折詰めを持っての千鳥足が迫真だとか」と、南部。

 こんな評判が艦内を駆け回るようでは植田も気の毒だとは思いながら、山本は、

「あのオヤヂ芸、素だったんじゃないかな。どこで遊んでるんだか。今度から『社長』って呼んでやるかな」

と、答えていた。南部は手を打って大喜びして笑っている。ちょ…っと部下を売ってしまったかもしれないけれど、まあ、いいや。


「で、加藤が、『やだー、俺大ママ? お肌のお手入れしておかなくちゃ』って言ってたよ」

「阻止しろ、阻止!!」

 太田はむやみに慌てている。

「当然。加藤は、どんな悪い手を使ってでも阻止する」

「俺については止めてくれないわけ?」と、山本。

「やりたがる奴は止めたくなるけど、嫌がる奴にはさせたい主義」

 南部はあごに手を当ててにやっと笑ってみせた。迷惑この上ない。

「むしろ山本は、白衣にざあます眼鏡でピンヒールってどうよ。ストッキングはバックシーム入りで髪はアップね」

 山本が、口にも出せないくらいにとてつもなく嫌な気分になっているところへ、太田は無邪気にとんでもないことを言ってのけた。

「それじゃあSM女医だよ。違うプレイになっちゃうよ」

 山本は心底、ついていけないというか、情けない気分になった。

「あのね!間違っている大前提から変更してもらえませんか!!」

「嫌よ嫌よも好きのうち!」

 ……俺はこの手のストレスには慣れていないんだけど。

「……とりあえず植田殺す」

               *   *   *

 植田のほうも、不首尾に終わったため、「使えねえなあ」という不名誉な言葉とともに、皆からどつかれなくてはならなかった。


 同時に、『命知らずの勇者』の称号をも得たが、暗に『バカ』と言われているのも同然だった。

「知らないでいるのもかわいそうだから、教えてやるよ」

 おとなしそうな相原通信班長が声をかけてきた。

「次の訓練で、君が何分で死ぬかが賭になってる」

「マジですか!」

 植田は泣きたくなった。

「言い出したのは砲術班らしいけど。1口千円で、1割は君に香典として渡すことになってるよ」

「ねちこく生殺しにされて12分、で俺も1口乗らせてください」

「いや本人はさすがに駄目だって。まあ、がんばれよ。今、40口くらい集まっているみたいだから。最短で3分、最長で帰投直前、だって」

 通信班長だからか、相原は情報通らしかった。

「生きて帰る選択肢は、誰もいないんですか?」

「自分の上官の性格を考えてみろよ」

 植田はさらに肩を落とす。

「それともう一つ。君、『社長』ってあだ名に決まったから」

 決まった?! しかも社長って何?? 植田は仰天した。

「ま、だから、頑張れ」

「いえ、頑張れませんって。どうして社長なんですか?」

「山本が言ってたって」

「ああああああああああああああ」

                     *   *   *

 結果、誰に対しても「さん付け」で済むくらいにコスモタイガー隊の者がヤマトに馴染んだ――というのも、みなニヤニヤして「どうだい調子は。チイママの機嫌はどうだ」などと肩を叩いてくるようになったのだ――わけだから、植田に籤が当たったのも、まんざら悪くはなかったといえるのではないか。

 で、1口いかがですか?



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