『お願いです。無視しないでください』
パソコンを立ち上げた途端にメールが現れた。
奴が身体を硬くして、反応をうかがっているのが分かる。山本は振り返らないが、次第に眼差しがきつくなってくる。
立ち上げたばかりのパソコンを閉じて立ち上がった。
最低限のことは伝えたつもりだった。それが、どうしてここまでこじれたのかは分からない。曖昧だったか。普段だったら、もっときつい調子で迷わず口にしているはずだった。なぜ言えないのか。狭い艦内で人間関係をこじらせたくない。非常にデリケートな問題だから。どれもこれも言い訳がましいのは分かっていた。
だからなおのこと、いらいらする。
ここだけは喫煙が許されている談話室に入った。誰もいなければいい。最低限、B・T隊の人間がいなければいい。煙草はうまくは感じられなかったが、落ち着きたかった。
「山本くん、なーにイライラしてんのよ」
南部が煙草に火を点けながら近づいてきて、隣にどっかと座った。
「おっかない顔してさ」
山本は答えなかった。大きなお世話だと思ったが、南部の無頓着さはある意味すがすがしい。南部は返事を期待していなかったらしく、
「ま、たまにはガス抜きしないとね」
と、自分に言い聞かせるように言い、煙を上に吹き上げた。そして唸った。
「あー、どっか飲みに行きてえ。きれ〜なおネエちゃんと合コンしてえ」
いい気なものだ。しかし、山本はつい失笑した。南部は待っていたように向き直った。
「帰ったら、合コンしようよ。おネエちゃん連れてきてよ」
「嫌だ。合コン嫌い」
「なんで? 楽しいよ」
「何がそんなに楽しいの?」
「狩りや釣りは男の本能だろう」
「バーカ。じゃ、戻る」
「おお」
南部はへろへろと手を振ってみせた。
「溜めこんじゃ、駄目だぞお」
それなら、どうしろと?
山本が戻ると、加藤は険しい顔を向けた。
「どこに行ってたんだよ。仕事をほっぽりだして煙草吸ってんなよ」
「分かってるなら、聞くな」
二人の刺々しい会話に、あたりは水を打ったように静かになった。
B・T隊は、仲がよくてまとまりがよいのが自慢だった。しかし、最近は萎縮した空気が流れていた。先の見えない戦いもさることながら、副隊長の山本の不機嫌のせいだと加藤は考えている。最初は、あのいらいらさせられる空間騎兵隊が原因かと思ったが、そうではないらしいという確信までは持てた。
「ちょっと顔貸せや」
隊員たちの視線と意識を感じながら、別室に山本を促した。山本は仏頂面で返事もせずについてくる。ドアが閉まると、山本は腕を組んで加藤を睨んだ。これは、「お前の話は聞かない」という時の山本の癖だった。ごく冷静な態度に見える時でも、この状態の山本が絶対に折れようとしないことは、加藤は経験上身に染みていた。つまり、いきなり拒絶されたわけだ。
「どういうつもりだ」
「何が」
「こんな大変な時期に、隊をばらばらにする気か」
「言ってることが分からない」
「殴られないうちに吐いちまえ。お前、なにをそんなにいらいらしてるんだ」
てめえの部下だろうがよ。原因は。なにも分かっちゃいない。加藤には分からない。山本は、この友人で上官の顔を刺すような目で見つめた。
「相談に乗るぞ」
加藤は少し路線を変えて、口調を和らげた。
「仕事のことじゃない。皆に、他人の顔色を見て態度を変えるなと言え。隊長なら」
「なんだ、それは」
「振り回したくないし、振り回されたくもない。それ以上言いたくない」
「それならいい」
学生時代だったら間違いなく喧嘩だが、今は殴っても無駄な気がした。山本は、本当になにも言う気がないのだ。山本の目に一瞬敵意が浮かんだことが、加藤にはショックだった。
おずおずとした視線。メールが来ている。
『迷惑ですか?』
ああ。うんと迷惑。即座に削除した。
コンナヤツ イナクナレバイイ フユカイダ イライラスル イイタイコトガアルナラ クチデイエ イクジナシ イライラスル コンナヤツ イナクナレバイイ フユカイダ フユカイダ イライラスル フユカイダ イライラスル イライラスル イナクナレバイイ イライラスル イライラスル イライラスル イライラスル イナクナレ
――――俺も。
『こういうのは、止めてくれないかな』
返信をしたら、メールは来なくなった。視線は相変わらず追ってくる。しかし、メールが来なくなったから、とりあえずは無視ができる、と、思っていた。
『優しくしてくれたじゃないですか。俺がしくじって落ち込んでいる時、加藤隊長に注意されて、もう居場所がないような気がしていた時、傍に来て。声をかけてくれるわけじゃないけど、そこに居てくれるだけで落ち着いたんです。
俺のこと、分かってくれてたんじゃなかったんですか。だから、来てくれたんじゃなかったんですか。
どうして、今になって拒絶するんですか。
俺は、あなたほど強くない。あなたはたぶん、世界中に誰も居なくても生きていけるんだろう、でも、俺はそうじゃない。
どうしたらいいんですか。駄目なんですか。
迷惑なんですね? でも、お願いです無視はしないでください。俺は生きて、ここに居るんですから。
助けてください』
いっそ、こいつを殺してやりたい。
加藤が物陰からそっと顎をしゃくった。山本は、周りに目を走らせ、誰にも気付かれていないのを確認してからその方向に歩いて行く。狭いほうの控え室だ。加藤は、組んだ腕をテーブルに載せて、待っていた。
「いい加減白状しろ」
「なにを」
「最近、マジ怖えんだよ。声をかけようとする奴をまず睨むのは止めろ。何があったんだよ。まだ、何も言いたくないのか?」
「……」
「何から逃げてんだよ」
山本が俺を見ない。でも、かなり苛ついてる。あと一回押したらキレるかもしれない。キレてみろよ。修復できなくなるかも。どうする、俺。加藤は、声が上擦りそうになるのを、押さえようとした。
「田沼がどうかしたか」
しかし山本は、視線を落としたまま、さらに険しい表情になり、唇を噛んだ。
「あいつは、確かに一度しくじったけど、でも取り返しがつかないことじゃなかっただろ。俺が注意して、お前がフォローに回ったはずだ。それで、なんで今あいつがあんなにビビってんだよ」
「覇気がない奴を見てるといらいらする」
「お前がそうさせているんじゃないのか?」
「……」
「長沢がああだった」
口にした自分もぎょっとしたが、それ以上に山本が反応した。火でも押し当てられたように、顔を上げた。目を見開いて加藤を見た。
言ってはいけないことを言ったのかもしれない。でも、もう遅い……。
「長沢と田沼は違う」
いくぶん苦しそうに、山本は言った。
「どんなふうに?」
再び視線を落とした。
「違うとしか言えない」
「田沼に聞いても、やっぱり答えない。話し合いの場を持とうか? 俺が立ち会う。いや、いないほうがいいかな」
「絶対嫌だ……」
「どうして? それじゃあ、どうしたらいいんだ」
「加藤の部下だろう? 加藤が面倒を見てやればいいだろう?」
「ここは月じゃないんだぞ」
加藤はため息をついた。
「放っておいてくれ。時間が解決してくれる。たぶん」
山本は立ち上がって出て行こうとした。
「ちょっと待てよ。長沢の話をしたのは悪かった。でも、時間が解決するとは、俺には思えない。そんな不確かな方法に頼るのか。お前らしくない」
引導を渡そうとしているのか、慰めようとしているのか、加藤は自分でも分からなかった。心のどこかで、復讐しているような気さえしていた。山本が何も言おうとしないから。
「俺らしい、ってなんだよ」
山本はさらに苦しげに言った。
「利いた風なこと言うなよ!」
言い捨てると、そのまま出ていった。
俺は悪くない。加藤は呟いた。お前が何も言わないから。痛いって言わないから。俺を突き放すから。
島が展望室でテレサのことを考えていると、山本が入ってきた。
「あ、邪魔?」
「いいよ」
そういえば、顔を合わせるのは、あの時以来だ。彼女について痛烈なことを言われたんだ、と島は思った。
「あの時は悪かったな」
山本も同じことを考えていたらしい。
「いいよ。あの時は腹が立ったけどさ」
「上までよじ登って来たら、どう逃げるかなと思ってた」
「先にシメなきゃならない奴がいたからな。でも、仲が悪いと思っていたのに、報告会に行ってたとはなあ。裏切られた気がしたよ」
山本は島の隣りに来て笑った。そして答えた。
「暇だったからな」
「ま、お互い、八つ当たりしたかったんだろう」
「島くん、大人になったようなことを言うね」
「大人になったよ」
一人でいると辛くなるばかりだから、ここに山本が来たのはいいタイミングだったかもしれない。島は苦笑した。
「自分があんなに本気になるとは、思ってもみなかったよ。俺、今まではゲームみたいな、ままごとみたいな恋愛してたんだ、って思った」
「異常事態に追いこまれた人間には、ありがちなことらしいけど。あ、ごめん、また嫌なこと言ったな」
「そういう奴なんだよ。でもお前の言うとおりかもな。彼女は俺たちの想像を絶するような状態で、寂しくて、怖くて。俺もいらいらしてたし。古代は基本的に『島がんばれよ!』って奴だろ、じゃあ俺はどうしたらいい、って……。彼女の細い声が聞こえた時、なんだか救われるような気がしたんだ」
山本は黙って聞いている。島は涙ぐみそうになって、我に返った。
「悪いな。語っちゃったよ。そろそろ帰るかな」
照れ隠しに誤魔化そうとしたが、山本は独りごとのように言った。
「救われるって何?」
「え?」
「双方合意ならOKってことなのかな」
「どういう意味?」
「分からないんだよ」
山本は手摺りに両腕をついて寄り掛かった。
「妥協と甘えとカンチガイと小狡さ。そうとしか思えない」
「そこまで決め付けるなよ。ちょっと前なら殴ってるぞ」
「ちょっと前なら?」
「今は、いい気なもんだってことが分かるから。傍から見れば恋愛なんか確かにアホウだよ。そうか、さては山本さん、本気になったことがありませんね? 意外にお子ちゃまですね? もしくは遊びすぎ?」
島がからかうと、肩で小突いて返してきた。
「で、正直に、本気になったことはないのか?」
「本気、ねえ……。本気ってどういう状態?」
「お前の本気なんか知るか」
「矛盾してる。知らないものをどうやって決め付けるんだよ。島くんが言う『本気』って、アホウになった状態? いやだな、それ」
「そういうことを言う奴には、一生春は来ません! ざまあみろ!」
「君の春は、終わってる。今は思い出して、悔やんでるだけだろ」
島は、胸に何かを打ち込まれた気がした。冷たくて、透き通った、美しくて痛いものを。
「それなら、俺はどうしたらいい? 忘れられないから思い出して、悔やむんだよ」
痛い。苦い。山本が来たことで、少し上向いた心が再び重苦しく沈みこんだ。
「たった一週間前、彼女は生きていたんだ。一週間前の俺は幸せだったんだよ。妥協と甘えだって言うなら、きっとそうなんだろう」
「……時間」
山本は言いかけて止めた。俺らしくないって言われたんだった、加藤に。
麻痺するのを待つしかないと思ったのだが、それが「らしく」ないのか。しかし島は、これを受け止めた。
「時間、かな。やっぱり。忘れたくないと思っても忘れちゃうように、いつか楽になるのかな」
そして、涙ぐんだ。
考えていることはそれぞれ全く違うのに、状況すら似ていないのに、言葉がつながっている。島は、本当に辛くてたまらないのだろう。自分のことを考える余裕しかない。山本が友人の親切心から自分に付き合ってくれていると思っているのだろう。それが、いらだたしく痛々しい。
島は真面目だ。真面目すぎる。……滑稽なくらいに。
「どっちがいいんだよ」
山本はぶっきらぼうに言う。が、思い直して付け加えてみた。
「……どっちでもいいんだよな」
島が吹き出す。
「一人で勝手に完結するなよ」
しばらく二人でそれぞれ外を眺めていた。何も見るべきものはないというのに。
「で、実のところどうなんだ、そっちは」
島が口を開いた。
「何を答えさせたい?」
「浮いた話系」
「そういうのは、隣に座っている奴に聞いたら?」
「古代と雪を見ているのは辛くもあるけど、楽しくもある……。あいつらが幸せなら、それでいいかなって思ったり、不条理だと思ったり」
「真面目だね」
「馬鹿にしているだろ」
「とんでもない」
島は、山本の方に顔を向けて苦笑した。
「……すぐそうやって、はぐらかす」
「……」
「本当は、何を考えてるんだよ」
ごくわずかな苛立ちの調子が、声に含まれていた。山本はふと、加藤の顔を思い出し、それを打ち消した。
「何も考えてない」
「嘘だろう、もっとドス黒い何かを抱えているだろう。山本さんの恋愛感は真っ黒だ」
「そんなことはない。ただ、自分に都合のいい形に勝手に当て嵌めて、それで一喜一憂して、実物なんか見てやしないようなのは、御免蒙るというだけで」
島はあいまいに見える笑みを浮かべて山本を見据えた。
「何か嫌なことがあったのか? 今、すごく怖い冷たい目をしてる」
打ち明けたら俺は『救われる』か?
「俺に言えることか?」
性格はかなり黒いときがあるくせに、暖かい声でしゃべる島。山本は目を逸らした。
「……無理」
「そういう時もあるよな」
島は穏やかに言った。
「基本的に、あんたは人間があんまり好きじゃないんだろう」
「嫌いだよ」
吐き捨てるように答える。
「ときどき、何もかもぶっ潰してやりたくなる」
呪うような、思い詰めた激しい目をする山本。
「でも、山本が言う実物ってなに? それだって、お前自身に都合のいい形じゃないのか? 他人から距離をおいても隠しておきたいもの?」
「……たぶん、そう」
歯切れの悪い答えに、島はふふっと笑った。
「ごめんな、俺、自分のことばかり語って。お前もいろいろあるんだよな。俺は少し楽になってきた気がするから、気が向いたら声をかけてくれよ」
山本が言ったとおり、時間は物事を解決しつつあるように見えた。山本の態度も、少しずつ穏やかになって、他の隊員たちも安堵した様子だ。ただし、よそよそしい亀裂は埋まらない。
それでいいはずはない。
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