印象的だったシーンなどをご紹介します。


熊谷陣屋(一谷嫩軍記・いちのたにふたばぐんき)

   『熊谷陣屋』は、実にひどい話です。名作なんでしょうが、不幸すぎて、見ていて辛い。
  江戸時代における「100万人が泣いた!」映画みたいなものでしょうか。
  粗筋は、こんなところで見るより、然るところで調べるなり、
  芝居を見に行ったほうがずっとよいので、はしょりますが、こんなシーンです。

  ここでは熊谷直実は、ご落胤の敦盛卿を助けるために、自分の息子を身代わりにします。
  それを、折ってはならない桜の枝になぞらえて暗に指示したのが義経。
  その身代わり首を、義経に首実検に出します。

 
 敦盛卿の母の藤の方と、直実の妻、相模が陣屋に居合わせたりします。
  直実は、義経の命に従い、敦盛卿を助けたことを、これまた暗に(しかし、堂々と)示します。
  当然、2人はびっくり!
  「敦盛卿の首に相違ない」と認定する義経。
  大事な跡取りを自分で討った直実は無情を感じて出家します。

 

  ちなみに、歌舞伎は史実は気にしません(きっぱり)。
  それをおいても、不条理もいいところ。
  少なくとも、現代に生きる我々には、ご落胤の価値が分からないし、
  この嘆き苦しみは、悪いけど無駄じゃないですか。
  あんたらマゾですかい、くらい思っちゃうよ。
  本当は、こんなことやっちゃったら、義経の鎌倉での立場は悪くなるのですが、
  それでも義経が憎く見えます。

  2004年9月、名古屋の御園座に、菊之助の追っかけに行った時のことです。
  このときの芝居が、ちょっといつもと違っていました。
  義経は人間国宝の富十郎さん。東京ではなかなか見られない配役です。
  敦盛卿の首であると言い切った後に、
  「そこに縁の人もいるようだ。最後の別れをさせてあげるように」と、言います。
 
 その時に、そっと、相模とは反対方向に顔を背けて、顔を歪めたのです。
 
 義経もすごく苦しんでいるんだ、と分かって安心しながらも、
  不条理と悲劇性がさらに強まった気がしました。


  本当は直実の息子、小次郎の首なので、実際は相模に向けて言っているわけです。
  この相模は非常にかわいそうです。
  直実は自分が手を下したし、納得ずくですが、相模はそうじゃない。
  それでも、泣くわけにいかないのです。
  子供が親より先に死ぬ芝居は切ないです。
 
  歌舞伎は同じ演目でも演出方法が数種類あって、それぞれ、そのように工夫した役者さんの名前をつけて、
  ○○型、などと呼んでいます。
  その時にかかったのは芝翫型というもので、演じられることが多い団十郎型に比べて、
  衣装は少々もっさり、見慣れないせいか、ところどころアレレだし、
  私はやっぱり、団十郎型がいいなあ。