闇 烏 (二) |
---|
進之介は汁粉屋の二階に居候することになった。 江戸に上ってくるまでに、何回か人にも騙されてきただけに、二人の親切は身に染みる。しかし、どうしてこれほどまでに協力してくれるのか、同時に不安でもある。 二階の戸を細目に開けて外を眺めていると、職人風の若い男がやってくるのが見えた。懐手にして寒そうに身を屈め、ひょいひょいと歩いてくる。 男は、通りに出してある腰掛けに座って茶を啜り、お雪に何か話しかけた。その間に、素早く何か手紙のようなものを手渡した。お雪もさっと受け取った。あれが例の……。御用聞きだろうか。あまりそうは見えないが。 やがてお雪が上がってきて少し弾んだ声で、 「進之介様、敵はしばらく腰を据えそうでございますよ」 と、言った。 「今、お雪どのに手紙を渡していった人がありましたね。あの人が?」 「ご覧になっていたんですね。大丈夫、信頼のおける人ですから。それと、お雪どのは止めてくださいな、雪と呼んでくださいな」 お雪は華やかに笑い、足取りも軽く下へ降りていった。 あの男は何者だうう。お雪が頼めば探りを入れてくれる男。ちょっと面白くない。退屈だろうと、亭主が差し入れてくれた本を取り上げて、広げてみた。それよりも、外に出て身体を動かしたい。 敵に知られて姿を隠されては、元も子もないので、じりじりしながらそのまま二日間待った。例の男は毎日訪れ、何かしら情報を伝えていくらしい。 二日目に、お雪は進之介を呼びにきた。例の男が腰を下ろしていた。御納戸色の綿入れを着て、思っていたよりも若そうに見える。人なつこい笑顔でにこにこしていて、気のよさそうな男だ。ただ、どこか抜け目のない感じがした。 「この人は義次さんというんです。あの道場の近くに詳しいのです」 「これは…かたじけない」 「なに、なんでもねえことでございますよ」 義次は明るく笑った。 「あっしはこういうのが好きなんで。それと、お雪ちゃんが惚れた男を見たくってねえ。なるほど、いい男だ」 「義さん、おだまり」 お雪が切り裂くように制止した。義次は大袈裟にのけぞってみせた。 「おお、こええ」 「進之介様が迷惑なさいます。義さんは、調べてきたことだけを教えてくれればよい」 「はい、はい、と」 ……進之介は固まっていた。 それでも義次は、道場付近の地理やら、うまく身を隠すことのできるような植え込み、近道などを詳しく説明し、その後で付け加えた。 「ただね、奴は一人では出歩かねえんで。必ず、そこそこに腕の立ちそうなのを、四、五人つれていやがるんですよ。あれを引き離してからでないと、ちょいと面倒でしょうよ」 一同、渋い顔を見合わせた。 「面倒でも、倒さねばならぬ」 不明金について問いただそうとした父を、いきなり斬って捨て、しかも罪を父に被せて逃げたような男だ。破廉恥漢だ。 だからこそ、自分は何にも恥じないように振る舞いたい。父と兄の無念を晴らさなければならぬ。 義次が帰っていった後、進之介が二階で仰向けになって、これからのことを考えていると、お雪の声がした。 「進之介様。入ってもよろしいですか?」 進之介は慌てて身体を起こした。 「お入りください」 緊張した面持ちのお雪。進之介の真っ正面に、ぴしりと背を伸ばして座った。 「いよいよでございますね」 「お雪さんにはたいへん世話になった。何から何まで」 「とんでもございません」 お雪は少し口元をほころばせたが、すぐにまたかたい表情になった。何か伝えたいが、言い出せないでいるらしい。 「何か…?」 「いえ、で、いつおやりなさるんです?」 「今夜に」 「まあ…」 「もしかしたら、これっきりお雪さんの顔を見られぬかも知れぬな」 お雪はきっとした顔を向けた。 「いいえ、きっとご本懐を遂げられます」 気休めとも思えぬほどはっきりと宣言されたので、進之介は清々しく思った。四肢に力が漲るような気がした。 |
---|