闇 烏  (四)



 すべてを済ませて汁粉屋に戻ってくると、お雪が待ちかねたように駆け寄ってきた。

「進之介様、ようございましたね」

 お客をほったらかしたまま、進之介を奥に引っ張り込み、輝くような笑顔を見せた。

「おめでとうございます。おじさんももう、早く一緒に祝い酒が飲みたい、と進之介様をお待ち申し上げていたんですよ」

「ははは…。ご亭主は愉快なお人だな」

「ま、進之介様ったら、やっと、笑われましたね。かわゆらしい」

 お雪が細い指で、進之介の腕をきゅっと掴んだので、飛び上がりそうになった。

「これ、冗談を申されるな」

 お雪の顔を見ると、いろいろ聞きたかった事どもも、もういいような気がした。

「そう思い、ご亭主には酒を買ってまいったのだ。お雪さんには、加賀様の近くの羊羹がうまいと聞いたゆえ」

 包みを掲げてみせた。

「汁粉屋に羊羹というのも、おかしな話だが」

「まあ、おほほ、ほ、ほ…」

 お雪はしなやかな身体を反らせて笑った。

「もうお店をしめて、お茶にしたくなりましたわ。嬉しゅうございます」

 いよいよ、国元には帰りたくなくなった。これまで張り詰めていたものがぷっつりと切れて、何をしたらよいのか分からないのだ。いっそ、このまま江戸に住み着いて…お雪を娶ることができたら、どんなによいだろう。


 その夜、お雪の心尽くしの料理に、三人で杯を交わした。亭主は例によって、浴びるほど飲み、さかんに進之介にもすすめ、さっそくご機嫌になっていた。お雪もいける口らしく、たまに杯を含んでは、ぽうっと頬を桜色に染めた。

 どうやらすっかり春めいて、まことに気持ちのよい夜だった。

「そろそろ花も咲きましょうなあ」

 亭主は目を細めて言い、うまそうに杯を干した。

「お国にも、いい桜はあるでしょうが、折角だからお膝元の桜をご覧になってからお帰りになっては?」

 進之介は瞬時に心を決めた。

「ご亭主。もう、国元には帰りとうはござらぬ」

 二人は、驚いて目を見張った。

「江戸で、暮らしたい。できれば、お雪さんと」

「なりませぬ」

 鋭い声がとんだ。お雪が厳しい顔で、睨んでいた。

「江戸で、どうなさいます。江戸家老様が、あなた様のことをかなりお気に召したとのことですから、いずれお取り立てがあるでございましょう。みすみす江戸に埋もれることはございませぬ」

「なぜ、そのようなことを知っているのです、お雪どの」

「…あたしは、あなた様がお考えになっているような女じゃあございません。お手伝いいたしましたのも、あいつらが、お金さえ積めば、誰でも始末してしまうような、評判の鼻つまみだったからでございます」

 なかなかの女傑ですよ、と重三郎も言っていた。若い娘に似ぬこの凄味は、生中ではない。

「お国元へお帰りください」

 お雪はうつむき、先程よりはいくぶん弱々しく言った。


闇烏 (五)

Pierrot Lunaire Index