闇 烏  (七)



 汁粉屋から数町ばかり離れた所に、廃寺があった。住職が居なくなってから、もう大分経つ。今は、唖の男が一人、境内の片隅にささやかな小屋を建てて住んでいた。この男、普段は人々の所用を務めてなにがしかの小銭を貰い、暮らしていたが、寺男代わりにまめに掃除をしたり、草を刈ったりするので、町内で評判がよかった。

 まさに漆黒の闇夜だった。

 その闇に溶け込むように、音もなく走り来た者が、そっと小屋の戸を叩いた。すぐに唖男が出てくる。ひとつ頷いて男は外に出た。入れ替わりに、戸を叩いた者がするりと小屋に入り込んだ。その後から、さらに数人。それから静かに戸が閉まった。

「さて、今度は何ですね」

 口火を切ったのは義次だ。

「進之介様がつけられたそうです」

 黒っぽい地味な着物に裁付袴で、まるで男のような身形をしたお雪が低い声で答えた。

「注意を促してくれたのは、お前さんだそうだね」

 真っすぐにあの字に目を向ける。あの字はやや迷惑そうに眉を顰めた。

「お前さんの考えを聞かしておくれ、あの方がつけられるとしたら、あのこと以外にないんだからね。あたしらも用心するに越したことはない」

「頓馬な野郎で」

 あの字は冷淡に言った。

「しくじったものだから一膳飯屋で親爺に絡んで、それっからてめえの巣に戻って寝ちまいましたよ。特に誰も来なかったようだが、適当なところで引っ返してきたから、後はどうだか」

「じゃあ、一体全体どいつの差し金なのか、調べておくれでないか。お前さんにとっちゃあ朝飯前だろうが、油断は禁物だよ。いいね」

「馬鹿に張り合えのねえ仕事だな」

 しれっと言い捨てたあの字は、それでも了承したという合図に頷いてみせた。

 ところで義次は薄笑いを浮かべてこれを聞いていたが、会話が途切れたので、口を差し挟んだ。

「こう、お雪さん、どうもあの坊さんに甘くはないかえ? 進之介さんは進之介さん、わっちらはわっちらさ。別に頼まれたわけでもねえ、それどころか、あの御仁はそんな頼み事をするくらいなら、いっそ腹掻っ捌いちまいそうだがねえ。どうしてそんなに躍起になるんですよ」

「どういう意昧だか、はっきりお言いな」

 お雪の言葉にいくらかの刃が覗いていた。義次は慌てて、

「いえね、こう言っちゃ何だが、今までは女ながらに全然私情を交えねえお人で、てえしたもんだと思ってたんで……何だかちょっといつもと違う気がしたんでござんすよ」

「義次。お前…あたしに意見したいのかい?」

 お雪はさらに冷たい、押し殺したような声音になった。華奢な体がにわかに大きく見えるほどの威圧感が生じた。一方義次はしゅんとなり、

「意見なんて……そんな大それたこと、いたしやせん」

と、ぼそぼそと言い訳をした。

「いいじゃあありませんか」

 鷹揚に言葉を継いだのは重三郎。大刀を抱え込むように肩に立て掛け、懐手にしている。

「考えてみりゃあ、皆進之介さんに甘えじゃねえか。なあ、あの字」

 からかうように顔を向けた。

「きまぐれが大分高くつきやがった」

 あの字は忌々しげに呟いた。

「ただ……最初は普通のお坊かと思ったが、違う。いずれ偉くなるお人かも知れねえ」

 あの字の言葉に、お雪は微かに頷いたようだ。

「器があるってんだか……よくは分からねえが」

「目端を利かせたね、あの字」

 意味ありげな視線をあの字にくれながら、お雪は口元をほころばせる。

「あたしも、あのお方をむざむざと殺さしちゃあいけないと思いましたのさ。これだけじゃあ不足か? おい、義さん」

 義次はすっかり潮垂れてしまっている。げんなりと生返事をしたのみだ。そっぽを向いて、人形のように無表情な横顔を見せているあの字を、少し恨めしそうに眺めた。何か言いたいことがあっても、これでは到底言えまい。重三郎が明るい笑い声をたてた。

「丁度似合いだあな。清長似の小町娘だとて、あったら嫁き遅れてもつまらねえし、ここはひとつ、考えてみちゃあどうです」

 お雪はたちまち柳眉を逆立てた。

「重さん、下らない事をお言いでないよ!」

 一喝してあたりを睨め回し、決然と言い放った。

「あたしを女だと思ってもらっちゃあ困る。事のついでに言っておくが、ここにいる限りは、あたしの言うことを聞いてもらうよ。だがやり方が気に入らないっていうのなら、無理強いはしない。後は元締とじかに、やりとりすればいいさ。お前さん方ほどの腕があれば、元締も喜びなさるだろうよ。どうとでも、好きなほうを選ぶといい」

 この、汁粉屋の看板娘とは違う顔のお雪を進之介が見たら、さぞかし驚くことだろう。しかし進之介は、こんな会合のことなど、交字通り夢にも思わずに眠りに就いている。

「異存はございませんよ」

 重三郎が答え、義次とあの字もこれに同意した。

「じゃあ、これからも頼みますよ」

 お雪も後腐れのない顔で頷いた。

 夜が更けていく。さすがにまだ、かなり冷える。頭から夜具を引っ被った唖男は、崩れかかった本堂の中で船を漕いでいる。どこか遠くで、犬が吠えた。

ひとまず了(本当はまだ終わっちゃいねえm(__)m


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