月に雨は降らない。

 燃えたつ色彩もない。重く垂れこめた憂欝も、ない。

 到着したとき、山本は最初にそう思った。そして、自分の感傷主義に可笑しくなった。

 傷つき、荒れはてたかのように見える大地。その大地と紺色の空は決して溶け合うことはない。月では何もかもが、隣り合うものから際立っている。

 空気が戻ってからしばらく、地球には雨が降り続けた。彼らはそのころ東京にいた。雨は強くなったり弱くなったりしながらさんざんと降りつのったが、変わらないのはその不思議な生温さだった。やさしく、しつこくまとわりつく雨。まさしく空気の代わりに雨だった。呼吸をつまらせ、肺をきしませた。やがて雨が止み、若々しい虹が現れる。しかし、湯気をたてる空気はやはり生温かった。木々が芽吹いてくると、ねっとりとした感触は一層強まった。山本は、これが生きるというものか、と漠然と考えていた。もう地球にはいられない気がした。

 月には、彼よりもさらに若い部下が何人かいて、それぞれに呼吸し、食事をし、喋っていた。少年時代を不遇に耐え忍んできた割りにはみな明るく、生き生きとした強い目をしていた。彼らはしきりと淋しがった。広い窓に犬のように連なって、よく地球を眺めていた。山本はそんな彼らを可愛いと思ったが、理解はできないでいる。イスカンダルからの帰途を思いおこしてみたが、どちらかの存在が嘘なのだという確信しかもてなかった。それが彼を近寄りがたい存在にしていたのか、部下たちはみな、ぎこちないしゃべり方をした。

 やはり月にいる旧友で元上司の加藤からたまに電話がくる。若いのが地球ばかりみて困る、そういって笑った。この調子では、十五夜のときには団子でも用意しておかなければなるまい。冗談とも本気ともつかぬ声で、そんなことを加藤は言った。



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