飲みにいかないか。どうせ用事なんかないんだろう。加藤が言う。用事、無いわけじゃないけど。仕事なら明日やれよ。加藤は強引に予定を決めつけると電話を切る。飲まずにいられないというわけでも、居場所が無いわけでもあるまいに。人にも慕われているらしい(事実、こんなとき加藤はよく部下を伴ってきた)。それでも、よはど機嫌が悪くなければ山本は応じる。

「やあ、元気か」

 加藤は白い歯を見せて笑い、ごくごく月並みな言葉を口にした。

「若者たちと仲良くやってるか?」そういう言い方、やめてくれないかなあ。

加藤は『若者』を一人連れてきていた。まだ子供のような顔をしていて、背がひょろ長く、所在なさげに見える。前に進み出てきっちりと一礼した。ちょっと緊張しているらしい。木村と名乗った。

「ふうん、今日の犠牲かあ」

 山本が笑うと、微かに怯えた目をした。

「うちの子をいじめるなよ。もっとも、山本さんに逆らうと草木も生えない。だから何でもはいはいと言うことを聞いておけ、とは教えてある。気が利くだろう」

「そんなことに気を使ってもらわないでもいい」

 山本は少々気を悪くして言った。おそらくなにを言ってもろくなことにはならないだろうから、その先は言わないでおく。

 場所は限られていた。車で30分ほど進むと、そこそこに買物や飲食ができる町がある。今のところ、顧客はおそらく、基地の軍人と資源開発センターの関係者だけだろう。山本はあまり好きではないのだが、ほかに行くところがない。町は醜悪な虹色をした丸い固まりだ。いっぱしの歓楽街気取りのネオンが、ドームの下に泡立っているからで、幾つか肩を寄せあっているのが、卑屈で、さらにはいじましい。

 加藤は木村と話しこんでいた。

 仕事の話か。しかし時たま自分の名が会話のなかに組み込まれているような気がして、山本は二人のほうにちらりと目を走らせた。

 不意に、強引に音楽がなだれ込んできた。やはり基地から乗り込んできた陽気な一団がリズムをとっている。街に入るのが待ちきれないのか。加藤が苦笑いを浮かべ、肩をすくめてみせた。ごめんなさい、ちょっと大事な話しているので。ああ、すみません、浮かれちゃって。何かいいことでも?久しぶりのデートなんですよ、街で待ってるんです。

「失礼ですが、山本さん」

 木村が遠慮がちに声をかけてきた。

「ご加減がよくないのではありませんか?」

 加藤は笑う。

「違うの、こいつ。入って飲みはじめれば機嫌直すから」

「…え?」

「あの街、嫌いなんだよな、山本」



 常連といわれて得意がるような歳でもない彼らは、なるべく、毎回違う店に行こうと腐心した。

 味にはあまりこだわらない。それよりも、ひとつところに引き付けられないことのほうが、大事だった。口に出したことはなかったが、その点の一致は意識していた。

 とはいえ、店構えを見ていると、大体いつも似た雰囲気のところに入ってしまう。山本は可否しか言わないので、吟味はいつも加藤だった。素っ気ないほどシックで、余計な光を自己主張させない内装。入ってみて、流行の音楽なぞかけずに静かなら、合格。そう難しい条件ではない筈だが、なぜか、街と同じく装飾過多を感じさせるところのほうが多い。客、つまり基地の人間の平均年齢にもよるのだろうか、明るくて開放的で刺激的だ。それに妙に熱っぽい。そういえば、部下たちは皆、まだ十代だ。そういう部下を持つ彼らは二十歳そこそこだ。みんな死んでしまったからだ。何かしたくてうずうずしていながら、何をしていいか分からない地球の人々(何から手をつけたらいいか、迷うよ。しなければならないことが多すぎて)。

……彼らは完全に取り残された。

 加藤は車内で、山本がこの街を嫌いなのだという言い方をしたが、それは十分ではないし、公平でもない。彼が好む店は、きまって地下か、窓のないところだった。この地方では、いつでも地球が眺められる。だから、その特性を「売り」にした店や施設は多い。発展途上の都市計画の向うに大きく青く地球が光り、異相である。そのアンバランス感が人気を集めていたが、加藤はそれを避けた。何となく、嫌だから。十五夜の時には団子でも作るって言ってたじゃない。だから、何となく。

 山本は加藤のことを、少しずるいと思う。何にも応えないような顔をして、妙に神経質なところを匿して、それを指摘されると、途端にプライドを傷つけられたような顔になって不愉快に黙り込む。面倒なのでもう触れるまいと思うが、やはり時折、ずるいと思う。

 席を占め、酒を頼んだが、木村はそんなに背筋を張らなくても、と思うくらいに鯱張り、控えめに顔を伏せているが実は、テーブルの微かな模様を睨みつけている。加藤が笑い、「面接されるんじゃないんだから」というと、はにかんだような笑顔を浮かべ、少しだけあたりを見回した。

「シックな趣味ですね。加藤さんはもっと原色がお好きなのかと思っていました」

「あとで女を連れてこようと思っている」と、山本。

「ばか、勝手なことを言うなよ。それはともかく、原色好きだけど、ものを食う時には周りが赤や黄色や紫じゃないほうがいいなあ」

「悪いけど、加藤」

 山本が口を挟もうとした時、加藤はそれを急いで手で遮るような仕草をした。そして言った。

「紫は原色じゃない、分かってるよ、うるさいよおまえは」

「はいはい」

 山本はテーブルの端に置いてある調味料を取り上げる。皮肉にもこれは目の覚めるようなブルーの容器だ。漆黒のテーブルとよく調和してはいるが。もっとも山本はそうと知っていて取り上げたわけではなかったし、その時にも気がつかなかった。手が勝手に取っていただけのことである。彼はそれを、散々ひねくり回してからもとに戻した。

「木村君は、休みの日には何をしてるんですか」

 いくぶん上の空な様子で、山本は突然木村に話しかける。木村は再び背筋を張る。テーブルの上に置いていた手を下ろして膝の上に置く。

「はい、本を読んだり、仲間と買物をしたり、遊んだりしています」

「遊ぶ?街で?」

「はい、本屋のはしごとか、ディスコに行ったり」

「うちの基地のほうにはルナ・パークがあるんだよな、文字通り大人用の遊園地」加藤が口を挟んだ。「そのうちみんなで行かないか?」

「面白そうだけど…男と行くのは気が進まないなあ。それに、前の彼女と同じ名前なんでちょっと」

「これからもいい友達でいようねって言われたんだってな」

「うるさいなあ、もう!」

「おまえが言い出したんだろう。こいつね、突然自滅するんだよ」

「じゃあ…お友達だったんですね」

「はいはい、今もお友達ですよ。加藤!この子供なんとかしろよ、躾悪いぞ!」

 いつのまにか、アルコールと料理が運び込まれていた。加藤は目ざとく、肉詰めが2個しか入ってないからジャンケンしよう、などと言う。それが山本には耐えがたいことだったりする。

「みっともない!だいたい、せっかく外に出て『シック』な所に来て、こんな情けない会話して、もう、やだ俺。もっと知的な話しようよ」

「じゃあ、面倒だが1個を三等分して各々2個ずつとるとしよう」

「……。(山本はため息をついた、)僕が悪うございましたよ。お好きにどおぞ!」

 木村は、困っているような、面白がっているような中途半端な表情を浮かべた。

「いつもこういう会話なさっているんですか?」

「いつもって何が?まあ、この人が不貞腐れるのは日常茶飯事だから、君は気にしなくてもいい。私は慣れている」

 料理をそれぞれにちゃんと取り分けてやりながら加藤は澄まして言い、分配が済むと、傍らのバスケットからナイフやフォークも配った。



「皆で何かやりたいんだ。おまえの所と、こっちとで集まって。何かない?」

 加藤が言った。木村は少し酔い、眠そうな顔をしていたが、はっとして目を開けた。山本はそれを見て、この子は月で退屈してたのかなと思う。

「すみませんけど!何かやりたい、の次に何かない?っていうの変じゃありませんか!普通は、どうだろう、とか言いますけど」

「山本くん、君はどうして人の言うことにいちいち茶々を入れるんですか。よくないよ、ほんと。仕事の節目節目に、何か区切りが欲しいじゃない、ね、ただし、ここじゃあ花見はできないし、花火、お酉様も駄目、今のところ祭りもないだろ、ハロウィン、イースター…」

「加藤の好きなものばっか」

「だから相談してるんだよ!遊園地っていうのもその一つ。あ、ごーめんねっ」

「別に、気にしてないよ」

「嘘、目が怒ってる。何でもいいけど、ものを食うときには髪の毛気をつけなさいよ。おまえはいいかもしんないけど、見ていてはらはらする」

「……」

「だから、そう睨むのやめなさいって。木村が怖がってるだろ」

「え?僕ですかあ?」木村は素っ頓狂な声を上げ、目をパチパチと瞬かせた。「そんなことありませんよお、でも、加藤さんって何だかお母さんみたいですね。あははは」

「だいぶ陽気になっちゃったな。しかし…お母さんかあ…参るなあ」

「僕の母が、そういう人だったんですよ。こうしちゃ駄目よ、ああするのよ、いろいろ言われました。誰かに似てるなあって思ってたんですけどね、懐かしいなあ」

 言いながら声が湿ってくる。ぐいと喉を反らして天井を見上げる木村。

「十年、ちょうど十年前です。妹と弟を両脇に抱えたまま…三人とも黒焦げになってました…」

 加藤が腕を伸ばして木村の肩を軽く叩いた。木村は涙の溜った目を瞑って、グラスをぐっと岬った。

「すみません…ばかですね、俺。勝手に喋って興奮して。失礼しました」

 山本は頬杖をついて、至極冷静な様子でそれを見ていたが、すぐに加藤のほうに向き直り、言った。

「今日はもう帰ろう。明日もあるし」

「そうだな、明日休みじゃないもんな。な、木村」

 加藤は再び、木村の肩を叩いた。

「じゃ、山本はさっきの宿題にするから忘れないように。何か考えといて」それから急に小声になった。「あとで電話する」

 町の入口の駅で別れた。

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