基地は平穏だった。

 街は少しずつ整備され、拡がっていた。話に聞くと、地球の復興も着々と進んでいるということだ。こちらに赴任してから、山本は一度も帰っていない。部下の一人が尋ねてきた。

「地球にお帰りにならなくていいのですか?」

 あまりにも、真面目に聞かれたので、冗談を言ってみる気になる。

「地球では追われている身だから、帰れない」

「えっ」

 想像以上の反応があった。大きく目を見開いたまま、口は半開きだ。

「うそ」

 首尾よく?騙せたらしいので、少し嬉しくなって笑いかけると、相手は、最初は強ばっていたものの、次第に笑顔が広がっていった。

「信じかけてしまいました。失礼します」

 信じかけたって、本当に俺が追われていると思ったのか、あいつ。失礼な。

 そういえば学生時代に、友人の一人に言われたことがあった。ブラックな事を言う時の山本は、かなり冷たい目をする、だから、これは冗談のつもりなのか、それともマジなのか、相当悩む、もし本気だったら、深入りしないほうがいいかな、とまで考えるというのだ。紙一重で悪かったな、全く大きなお世話だと思ったが、今は、墓穴を掘ったことに気付いた。これがまた、誤解を呼んでチーム内に広がっていくんだ。

 大体において、部下たちは山本が何かしくじると、非常に嬉しそうになる。親しみのこもった眼差しで笑いかけられると、こん畜生と思う。また、誰かしらそばにいることになっている。先日、ぼうっと歩いていて和菓子屋の入口を間違え、ガラスのドアにぶつかった時には、加藤ですら「事件」を知っていた。折角たまには差し入れでも、と思ったのに、痛いうえに笑われたのでは間尺に合わない(ついでながら、あの店には二度と入る気がしない)。

 そんなこんなで、部下との関係は不本意ながら馴染みつつある。上官は苦笑いをしながら、可愛がってもやらないのに、よくなつくねえ、と、失礼なことを言った。(山本はちょっとむっとした。)

 どうしてか分からないが、君は怖いと思われているんです。もっと笑われなさいよ。(なんでこの人にまで!) 近寄りなさい。弟みたいなもんじゃない。

 弟というよりは、まだ学生気分だ。「学校」の軸が「軍」に変わっただけ。だから、「個人の」仕事が専一で、「組織」の気持ちになれない。「先輩・後輩」だから、自分のことは自分でして欲しいと思うし、べたべたされたくない。ただ、おかしいのが年のぐっと離れた上官の存在で、相手を教師か何かのような気になってしまう。甘えだということは自覚している。

 ヤマトも、今だから言えることだが、何もなければクラブ活動に近かった。

 そのヤマトは、実績以上の責任をもたらした。自動的にチーフにされた。させられた。向いていない、俺は。便宜的に部下と呼ばれる何人かの少年。彼らとどう違うのだろう。犬の仔のようにじゃれついて地球を眺めないだけ。なら、まだいいんだが。ただ、一人でいたいんだ。個人と個人と個人で。いざという時に、うまくチームが組めればいいんだ。チーフは確かに必要だろうが。少なくともそれは、俺じゃない。「上」はチーフを育てようとしている。それも大急ぎで。何しろ、中堅がほとんどいない。それはつまり、彼ら若手と上層部との繋ぎがいないということでもあるのだ。大事にしてくれてはいるが、それが何となく煙ったく、また、不自然な気がする。

 加藤は親分肌で、部下=後輩たちとうまくコミュニケーションをとったようだが、相変わらず、長沢のことで悩んでいた。うまくまとめているとは言い難い山本が、その相談に乗るというのもおかしな話で、落ち着きの悪い後めたさを感じないわけではなかったが、様子を見にいき、データもチェックし、何回かは言葉を交わした。性格のきつい、負けず嫌いの子だ。加藤に叱られている問、歯を食いしばっていた。こちらの基地には、そこまで火を噴くように気性の烈しい者はいない。自分の直属だったら、どうしただろうか。毎日喧嘩かな。

 長沢は焦っている。

 加藤は焦るまいとしている。 それじゃあメシでも食いに行くか。そう言いだす時間までも計算している。おまえ、何が嫌い。無い?嘘。あるだろ。知ってるぞ俺は。駄目だよ。加藤が可哀相だから黙っているが、猛烈に空々しい。こんな、冷えかかった微温湯のような、その中に、首まで浸かって爪先立ちしているような会話が何になるんだろう。山本はだんだんイライラしてくる。

 加藤が長沢の気を盛りたてようと、軽口を叩く(以前に比べると、切れ味が悪い)。何か喋らずにはいられないのだ。長沢はお愛想に笑い、二、三言葉を返す。二人の食事が進まないのは勿論、山本も食べた気がしない。山本が黙っていると、長沢がちらっと不安そうになる。この野郎、おどおどしやがって、と、小面憎くなる。

 あとで電話が来る。

「カンベンしてよ。本当、表情冷えきってるよ。俺、折角盛りたてようとしてんのに。あいつ自信無くしていくじゃないよ」

 眉間にしわまで作って言われなければならないことではない。

「バカですか、君は。何の自信をつけさせるつもりですか。加藤さんよりは気の利いたギャグが言えるってなもんかい」

「馬鹿は貴様だ。俺真面目に言ってるんだよ。どうしてそうおちゃらけるわけ。信じらんないよ」

「当たる相手が違うだろ。鬱憤晴らしはお断り。俺だって深夜にてめえの顔なんか見たかねえよ!」

 加藤は忌々しそうな顔をしたが、ため息をついて目をそらした。

「分かってるよ。白々しいと思うよ。おまえそういうの、嫌いだし。でも、長沢が、おかしいほど他人を気にするようになっちゃったんだよ。例えば、山本が不機嫌にしてると、それもこれも自分が面倒をかけるからって思うんだ。あいつ、どんどん落ち込んじゃうんだよ」

 この二人は離してしまったほうがいいに違いない。山本はやおら立ち上がり、冷蔵庫から缶ビールを取り出してきた。

「人の話聞けよ!」

「聞く価値があるならね。今思ったんだけどさ、もしかして長沢、向いてないんじゃないか?」

 加藤はとんでもない、と言い返した。あいつは頭がいいし、判断力も優れている。運動神経も、体力も申し分ない。だから、今のがふっきれたら大化けすると思う。だいたい、学校をいい成績で出てきてるんだ。何か気持ちがひっかかってるだけだよ。

 じゃあ相性が悪いんだろう。思ったが言わなかった。どんな顔をしているのか想像ができるから、山本は顔を見ない。何を食べたかろくに覚えていないような夕食だったからビールが美味しい。もう茶番はやめたい。

 じゃあ言わせてもらうけど、大して経験もない、自分たちだってまだ一人前とも言いきれないのが指導して、大化けできますか。今のところ、まだそう支障があるわけじゃないんだし、上だって、それはど危機感もってないだろう。深刻になってるの、二人だけだよ。せめて、どっちか異動したほうがいいような気がする。

 加藤は黙り込んだ。しばらく陰欝な表情で考えていたが、やがて、口を開いた。

「あいつが俺に食い付いてくるうちは、手放したくないんだ。今、中途半端で止めたら、あいつはこれから先の一生、自分は挫折した人間だと思いながら生きなきゃならなくなる。才能があるの、分かってるから、なんとかしてやりたい」

「傲慢だよ、加藤は。大体、やれば何でも出来るって思ってないか?」

「そこまでは。でも、精一杯やっても駄目なら、自分に誇れると思う。あそこまで頑張ったんだから、きっとここまで出来る、と思えるだろうし、実際出来るんじゃないかな」

「学校ならともかく、仕事は実績で評価される。通らないそんなの。それに、俺だったら、精一杯やって駄目ならやっぱり悔しい。挫折感は、どっちが強いと思う?」

 加藤はむっとした様子だ。

「おまえ、そこまでやったことある?」

「その言葉、そっくり返してさしあげます。その限度って何が基準なんだよ。そんな観念的な物差しに縛られるのは、御免だ」

「山本は」不意に加藤はかっと目を怒らせた。「そうだったな、いつも。必ず裏のパターンを想定している。逃げ道を用意してあるんだ。いつもそうだ。一歩退いて冷ややかに澄ましてるんだ。傷つくのが嫌なんだ!」

 山本は呆れ、また腹を立てた。これ以上の会話は無理だと思った。

「気違い!」

 叩きつけるようにスイッチを切った時、手のひらが痛んだ。どこかに引っ掛けたらしい。見ると、左手の小指の下から手首にかけて、幅一ミリ位の溝が出来、薄く血が滲みはじめていた。

「畜生」

 以前、同じ事を言われた。「敵」に近い人物から。その時は、聞くだけの価値のない人間の言葉として黙殺した。まさか加藤から言われるとは思ってもみなかった。『おまえの言葉は往々にしてきつすぎるからね、夜道で後から刺されないように注意しなさいよ』そう言ったことのある加藤から。何を偉そうに。夜道で刺そうとするのはお前だ。

 電話機が反応した。微かな音をたてて、メモが送られてきた。加藤の字で、一言、謝罪が書かれている。

「数分で後悔するようなことなら、最初から言うな!ばか!」

 メモを破り捨てた時、紙が出来たての傷に触れた。舌打ちしながらその手をかざしてみた山本は、愕然となった。一か所、傷の終わりに近い一部からは血が噴き出し、小さな玉を作っていたが、手首のほうは、うす赤い筋を残したまま溝が消失している。彼は、自己の修復しようとする力、ひいては生きることに恐怖を感じた。醜いと思った。加藤のことは忘れていた。



 翌日、格納庫でちょっとした打ち合せをしている時、不意に上官がやってきた。部隊間の協力もいいが、今はまず、ここの整備に専念してもらいたいものだ、君にも部下がいるのだから、と皮肉って帰っていった。こっそりプライベートで行っているつもりだったのに。これまでは見逃したが、これからは、という意味か。

「山本さん」岡崎が近付いてきた。最近岡崎は、山本への連絡係になりつつある。

「お手紙をお預かりしています。何でも、山田のところに誤配されていたとか」

「ありがとう」

 手袋を外して受け取ると、手紙は女からだった。こういう時に限って。

「おや、山本さんは猫をお飼いでしたか」

「いや?ああ、これは電話機の反乱」

 手首のほうも、今は堂々としたみみずばれだった。

 そういえば、加藤に連絡しないと。呟くと、岡崎は少し困った顔をした。

「あまり、無理はなさらないほうが」

「なに?」

「いえ、何だか最近お疲れのようなので」

「そんなことはないけど」

 岡崎は何とも微妙な顔でうつむいた。山本はため息をついた。

「向こうの事情、知ってるんだな」

「友人がおります」

「俺は、大丈夫」

 大丈夫、何が? 別れてからも、しばらく岡崎の視線が追いかけてきた。

 加藤に電話をし、今日は行く、と伝える。昨日の今日なので、加藤の声が沈んでいる。昨日はばかな事言っちゃって。いいよ。ああ直ぐごめん、なんて言ってくるのをみると、本音だな?まあ、詳しい話は後で。

 手紙は、勤務後の移動中に開いた。品のいい淡い青の便箋に、安否を気遣いつつも、全然こちらにお戻りにならないので、悲しい。会いたい、と書かれていた。畳みかたの違う便箋が、さらに一枚。中から何かの葉が出てきた。

『先日、英雄の丘にどこかの王族の方がいらして、植樹していきました。木にはかわいそうですが、こっそり頂いてきましたので、お送りします』と、可愛らしくも荒っぽい説明書きがあって、おかしい。ごめん、しばらく帰らない。避けているつもりはない。ただ、地球には帰りたくないんだ。

 後輩の姉だった。イタリア系の、派手で情熱的な美貌だが、本人はいたって内気で、無口で、大きな黒い瞳のほうが雄弁だった。彼女を紹介した後輩は、在学中から放射能のせいで病み、ヤマトの帰還を待たずに死んだ。何度注意されても、どこかに凶器を隠し持ち、人に打ち解けぬ性格だったのに、どういう訳か、山本にはなついた。岡崎のように。

 緑の葉は艶やかだ。厚ぼったく、冷たく、指先まで染まりそうな強い色をしている。子供の頃、青林檎の香がするといって、皆で無闇に千切った葉に似ている。地球では今、盛んに植樹がなされているとか。喪いかけたものを取り戻そうと、躍起になっている。青林檎の木は増えるだろう。しかし、月には関係がないことだ。マッダレーナ、月には雨は降らない、地球の命は育たない。人間は死んだように生きる。時が流れているのかどうかも分からない。ここから飛び出して、地球の空気に触れた途端、灰になってしまいそうな気がする。だから帰らない。嘘。今のはみんな嘘だ。

 とりとめのない考えのきっかけが、この濃い緑の葉であることに気付き、山本はそれを元のように便箋に包み込んだ。それから、加藤に行くと言わなければよかった、と思った。

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