マッダレーナは帰ってくるとすぐに、郵便ポストを覗いた。ダイレクトメールが何通か、学生時代の友人の手紙が一通。ダイレクトメールのほうはまとめてテーブルの上に置き、友人からの封筒を開いた。今度結婚することになりました。ケーキを焼くからパーティに来てね。あら、ケーキの絵が描いてある。蝋燭が立って、何だかバースデイケーキみたい。うふふ。

 キャビネの扉の前で少し迷う。いいわ、便箋は黄色にしよう。彼女はすぐに一式を揃えてテーブルに並べ、そのまま手紙を書きはじめた。着替えもまだだし、カバンも玄関に置いたままだ。ただ、真っ先に返事を書かないと気が済まない。

 おめでとう。パーティは必ず行きます。ケーキも楽しみにしています。でも、彼にも手伝ってもらってね。悪いけど、あなたのお菓子は昔からちょっと不安だから。

 こういう明るい手紙は楽しい。さっき一瞬の憂欝が晴れるような気がする。この友人とは、近況を知らせ合って、あちらこちらに落書きをする。マッダレーナも、隙間に自画像を入れた。黒い髪をちりちりに描く。今日は水玉のワンピース、手足は簡単に線だ。

「切手は……」

 声にしながら、封筒と似合いそうな切手を探した。できるだけ、花の絵柄がいい。とりあえずのブーケ代わりだ。支度が終わると、玄関の棚に置いた。明日、出勤前に投函しよう。それから彼女はようやく、着替えにかかった。「結婚、か」

 ちらりと男の顔を思った。心が重くなって、ふうっとため息をついた。とてもそんなところへなんか、到達していない。私たちって一体なんだろう。いや、それよりも、私ってなんだろう。手紙はそろそろ着いたはずだ。彼はなんと思っただろう。不安でたまらない。返事は来ないだろう。くれるような人なら、あんな手紙は書かない。

 あの手紙を書くにあたって、彼女は何回も何回も便箋を破り捨てた。逢いたい。今度の休みはいつ?駄目。なんで帰ってこないの。問題外。書けば書くはど自分が惨めになりそうな気がした。みっともない。手紙にあれほど緊張したのは初めてだった。自分が分からないのに、ありきたりの熱っぽい文を書き綴るのが、嫌だった。今、とても淋しい。でも、彼が近くにいないから淋しいのか、淋しいから彼に逢いたいのか、分からない。それを取り違えたまま関係を続けるのは嫌。とりあえず、手紙には当たり障りのないことを書いた。逢えなくて、少しばかりすねている女の子を装った。わたし、見栄っばりで意気地なし。

「返事ぐらい頂戴、って書いておくべきだったかな」

 すぐに夕食を作る気になれない。マッダレーナは反古を真四角に切り、奴を折った。子供の頃に、父に教えてもらった。風船。菓子箱。黄色い便箋で鶴を折る。テーブルの上で光るようだ。さらに何か作りたかったが、もう覚えていなかった。

 あきらめて、落書きをする。線をぐりぐりと引いているうちに、ふと、あの人の顔を描いてやれ、と考えた。あまり得意ではないし、我ながら拙いとは思うが、落書きは大好きだ。長い前髪。自分でも時たまうるさそうにしている。変な人。綺麗な眼をしている。いつだったか、加藤君が(なぜか、彼の場合は年下だということが強く意識されるのだ。弟みたいだと思う)この髪で横っ面を張られたと言って怒っていた。馬鹿も休み休み言え(神様お許しください、彼らは事あるごとに、お互いを馬鹿呼ばわりするのです)、そんなことが出来るわけがないと言い返していたけれど。あら、巧く描けないわ。あーあ。

 それでも彼女70パーセントの満足をもって「作品」を眺めた。ショートケーキの形をしたマグネットでキャビネに留める。何となくウサを晴らした、そんな気持ちだ。夕食を作ることにした。


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